にゃにゃ山日記

広く浅く

人を助けられなかった話。善意と悪意

 

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こんにちは👴

 

みなさんは、人を助けたことがありますか?

 

電車で席をゆずるとか、

落し物を届けてあげるとか、

 

どんなに小さいことでも、

誰かのために何かをしたことがある

って人は多いんじゃないでしょうか。

 

今回は、私が人を助けられなかった話をします。

 

 

田舎 

 

私は以前クソ寒い田舎に住んでいました。

 

冬には、

バカ寒くて道が凍ってしまうんです。

 

通学路を歩いている間、

いつ転ぶかわからない緊張感。

 

なにに緊張してんだよ、

と思われるかもしれませんが、 

 

私には友だちがいなかったので

 

転ぶことは死活問題

 

なのです。

 

理由をご説明します。

 

まず、一人で登下校してるわけですから

周りに友人・知人の類はいません。

 

完全なるアウェイ

周りはみんな敵!

 

そんな中でつるっとコケたらどうなるか、

お分かりでしょう。

 

 

そう、

めちゃめちゃ恥ずかしいんです。

 

もし転びでもすれば2、3日は引きずるレベルの

猛烈な恥ずかしさ。

 

「うわ、あの人コケてる

ダッサw」

 

という周りの視線ひとつひとつが

グサグサと刺さります。

 

まあ実際にはこんなこと思ってないんでしょうけど、

この時ばかりは変な被害妄想が

働く働く。

 

 

バカですよね。

多感な時期だったんだと思います。

 

 

おじいちゃん

 

奇異な緊張感を抱えながら

登下校していたころ、

そのおじいちゃんに出会いました。

 

たしか学校からの帰り道だったと思います。

 

通学路に面したお店から出てきた

一人のおじいちゃん。

 

お店の人とうにゃうにゃ話しながら出てきました。

 

 

 

と思ったのもつかの間、

 

 

ステーーーン!

 

 

 

 

そのおじいちゃんが

目の前で派手に転んだんです。

 

リアルに「うわっ」て声が漏れちゃうほど

びっくりしました。

 

 

しかしこのときは、

先ほど述べた

「人前で転ぶことの恥ずかしさ」

のことを忘れてしまっていたんです。

 

 

ショッキング

 

目の前で転んだおじいちゃんを見て、

最初は驚いて

フリーズしてしまいました。

 

でもその後、とっさに

助けなきゃ!

という正義感が湧き上がり、

おじいちゃんに手を差し伸べたんです。

 

コミュニケーション能力にやや問題があるにもかかわらず、

「大丈夫ですか?」と声をかけることもできました。

 

今思い返しても、

あのときの自分よくやったな

と思います。

 

思いがけず取った自分の行動があまりに道徳的で、

小学生のとき暇な時間にこころのノート読んでてよかった〜〜

と内心ニヤニヤしていたら…

 

 

 

 

 

おじいちゃんがサッと手を振り払ったんです。

 

 

 

 

 

おじいちゃんは私が差し伸べた手を振り払い、

自分の手を左右に振りました。

 

けっこうです

というジェスチャーでした。

 

おじいちゃんはそのまま立ち上がり

帰っていきました。

 

おそらく、

彼も人前で転んだのが恥ずかしかったのかもしれません。

 

へなちょこ高校生の前ですっ転んで、

手助けまでしてもらうなんて

恥ずかしさの極みだったのかもしれません。

 

そこに関しては

私の配慮が足りなかったかも?とは

思いましたが、

 

人が目の前で転んだのにスルーするなんてできないよー!

 

こころのノートのせいです。

 

 

 

善意でやったこと

 

よかれと思ってやったことが、

裏目に出てしまう。

 

こんなことよくありますよね。

 

私が今回お話しした話も

そのひとつです。

 

善意って良い言葉ですが、

ある人にとっては善意が「悪意」に

とられてしまうこともあります。

 

ある人にとっては善意でも、

全ての人にとってそうであるとは限らない。

 

 

「善意」という大義名分に乗っかって

誰かを貶めてしまわないよう

気をつけていきたいと思いました。

 

 

 

それでもおじいちゃんの件はだいぶショックだった…

 

 

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