会津藩校日新館行ってきた 「ならぬことはならぬものです」
こんにちは!
突然ですが、この間「会津藩校日新館」に行ってきました。
日新館とは
文武の両教科を教授する総合学校
「日新館の教育目標は、人材の育成」の会津藩の方針のもとに、花色紐組(上士)以上の藩士の子弟は全て入学が義務付けられましたnisshinkan.jp
会津藩の武士の中でも、身分の高い者たちが学んでいた学校ですね。引用元のリンクからもわかりますが、ここではあの白虎隊士たちも学んでおりました。
四書五経を用いて、当時の官学であった朱子学を主に学んでいたようです。朱子学は儒学思想からの学問ですので、儒学がもつ「忠」や「孝」の考え方を幼いころから身につけさせ、武士として主君に仕えることの大切さを説いていたであろうことがわかります。
白虎隊士も学んだ日新館
このめちゃでかい狛犬に迎えられ中に入ると、
ガラガラでした
まあ、閉館時間も迫ってたので仕方ないかな…
そして観覧券を買うと、まず映像を見れる部屋に行くよう言われたのでその通りにすると、
貸切です
部屋に入った瞬間映像が流れ始め、これ絶対私たちのために流してくれたんだな感満載で、出るに出られなくなったためそのまま鑑賞。日新館の説明や、NHK大河ドラマ「八重の桜」の主人公・山本八重(新島八重)さんの紹介などが流れます。
そのあとは道なりに進みます。東塾というところには人形を用いた展示があります。しゃべってる!怖い!私たち以外に人の気配がしないのに、人形たちのおかげで活気に満ちていました。ここでは、先ほど引用した「素読」のようすを見ることができます。
古典の原文を幾度となく繰り返して読み,それを書物を用いないで誤りなく言うことができるようになる学習法の一つ。日本でこの方法がひろく行われて学習の初歩として普及したのは江戸時代においてである。とくに武家の子弟が漢学の初歩としてこの方法をとったのであって,武家の学校や漢学塾での学習の初めは漢籍の素読であった。
今の学習スタイルとは大きく異なっていますね。くりかえし原典を読み、自分の骨肉となるまで教えを定着させていたのだろうか…などと当時の武士たちに思いを馳せます。
そして、こちらの展示室の人形には、一人一人に名前が付いています。私が確認したところだと、その全てが白虎隊士であるようでした。白虎隊士といえば、飯盛山での集団自刃を行った部隊が有名ですが、ここ日新館では、出陣前の隊士たちの日常を見ることができます。休み時間に友だちと遊んでいたり、先生に褒められて喜んでいたり。
元服していたとはいえ、まだまだ若い少年たちでありました。
こちらの作品は、会津戦争や白虎隊のことを描いています。会津藩や白虎隊に興味を持たれた方は、一度見てみるといいと思います。映像なので分かりやすく学ぶことができます。
会津什の掟「ならぬことはならぬものです」
日新館では、何度もこの「ならぬことはならぬものです」という言葉を目にします。これは「什の掟」と呼ばれるもののうちのひとつで、会津藩の精神性を端的に表したものと言えます。
同じ町に住む六歳から九歳までの藩士の子供たちは、十人前後で集まりをつくっていました。この集まりのことを会津藩では「什 (じゅう)」と呼び、そのうちの年長者が一人什長(座長)となりました。
毎日順番に、什の仲間のいずれかの家に集まり、什長が次のような「お話」を一つひとつみんなに申し聞かせ、すべてのお話が終わると、昨日から今日にかけて「お話」に背いた者がいなかったかどうかの反省会を行いました。
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
「朝敵」の汚名を着せられ、戊辰戦争へと突入してしまった会津藩。たとえ勝ち目のない戦いであったとしても、天皇や主君・松平容保公のため戦い遂げるのが武士です。なにがあっても敵の傘下に下ってはなりません。ならぬことはならぬものです。 「頑固」と言われればそれまでかもしれませんが、最後まで主君に忠義の意を示したその姿は立派と言わざるを得ないでしょう。