にゃにゃ山日記

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会津若松市 鶴ヶ城行ってきた〜戊辰150年〜

こんにちは

突然ですが、この間福島県会津若松市にある鶴ヶ城に行ってきました。

鶴ヶ城とは

鶴ヶ城は今から約630年ほど前に、その前身ともいえる東黒川館を葦名直盛が築いたのがはじまりと言われ、戊辰戦争では約1ヶ月に及ぶ激しい攻防戦に耐えた名城として、その名を天下に知らしめました。明治7年に取り壊されましたが、昭和40年に再建

天守の内部は博物館となっており会津の歴史に触れることができます。平成23年には「赤瓦」へのふき替えが完了し幕末当時の姿を再現し、現存する天守閣では国内唯一の赤瓦の天守となっています。
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写真だと分かりにくいかもしれませんが、赤瓦が美しく、威厳のある立派なお姿でした。松平容保公はじめ、多くの人たちがここで籠城戦をしたという歴史の重みをずっしりと感じます。


戊辰150年、会津藩の「義」


そして、今年は旧幕府軍と新政府軍が戦った戊辰戦争から150年の年です。鶴ヶ城内部では、それにちなんだ企画展を行なっていました。
京都守護職として、朝廷からの信頼も厚かった松平容保公がなぜ朝敵になってしまったのか?
また、主君がそのような理不尽な肩書きを背負わされた時、家臣たちはどうすべきか?
武士の「義」とは何か?
これらのことがわかりやすく展示されています。

鶴ヶ城開城と「泣血氈」

印象に残ったのは「泣血氈」(きゅうけつせん)です。
こちらは、長い籠城戦の末、鶴ヶ城を開城した際に用いられた真っ赤な敷物です。この真っ赤な色が、会津を守ろうとし、遂にはそれが叶わなかった、という人々の思いを反映しているように見え、胸に迫ります。実物を目の当たりにするというのは、百聞よりも心を揺さぶる力があると感じました。

会津の支柱、鶴ヶ城

会津のシンボルとしてたたずむ鶴ヶ城。そのお姿を実際に見てみて、帰ってきた今でも敬愛の念が絶えません。城下町を優しく見守るかのようなお城とは対照的に、悲劇的な歴史をたどってしまった会津藩きっと150年前も、人々の精神的支柱であっただろうと思います。これからもずっと会津の地を見守っていてくれますように。